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「ターンAガンダム」にゆっくりと触れていこう 2回目


今から約6年くらい前。
この作品がテレビ放映される事を知り
放映時は少し見てた訳だが
時間帯がその当時の私の生活体系に
合わなかった事とビデオに録画してまで見る気が
何故かしなかった作品。

続きを読みたい方はクリックして下さい。

●「ターンAガンダム」にゆっくりと触れていこう 2回目●


今だったら毎週のように
「ガンダム」と言う名の重力に魂を縛られながら
書いていたような気がするのだが
当時はそこまではしなかった。

それ程この作品は今までのガンダムと
表面的なものがあまりにも違い
「軽い拒否反応」のようなものがあったのだろう。

今見れば話の内容は殆どわかる。
もちろんそれは何度も見たからなのだが
そんなに難解な話だったのかどうかと言えば
逆に解り易い話だったのかもしれない。

何故それを理解する事ができなかったのか?

最後まで見なかった事も原因の1つだろう。
だが正直まだその答えは出ていない。
ひょっとしたら私自身の方に問題があったのだと
そんな気がしてならない。

作品を理解するのに必要な物は
いろいろとあるのかもしれないし
ひょっとしたら何も必要ではないのかもしれない。
人は何かを得て何かを捨てていく。
それが現実なのは間違いない。
そうしなければ基本的に生きてはいけないからだ。

それが大人になると言う事なら
私はそんな大人にはなれない。
寧ろなっていないと言った方が良いのか?
それともまた元に戻ったと言う事なのか?
捨てた物を拾ったという事なのか?

出来れば作品や製作者に対して
常に肯定的な目で見たいと思っている。
作品を作ると言う事はそんなに容易ではない。
それがビジネスという事になれば余計にそうなる。
それを少なからず知っているつもりである。

ファンと言うものは神様であると同時に
残酷な悪魔にもなるのだろう。
それはある意味仕方がないことだとも思う。
何故なら人は常に感情に支配されている生きものだから。

自分の世界のみで語る事しかできないのも
これが人それぞれの現実だと思うから
私のような人間が今更言った所で
世界はきっと何も変わりはしない。
諦めではなくこれが現実だと思う。
今ここで私が言っている事も
結局は「私の世界だけのこと」だから。

だから人は真実を求め
情報と言う物に振り回される事になる。
いわゆる「ネタバレ」というものだ。
それを富野監督は
「リアルに溺れる」という表現にしたのか?
その辺は人によって解釈の違いがあるので
正解にはならないのだろうが
私はそれを1つの解釈にしたい。

正しい事を正しいと主張しても
世界は平和にはならない。
人によって正しさなどと言うものは
簡単にひっくり返るからだ。

一見するとこの世に対して悲観論者のような
そんな解答も出る私なのだが
「作り手が表現したい物を素直に受け止めたい」
そこだけは譲れない部分なのだ。
それがこの世に真に絶望しないための
私自身の最後の砦なのだろう。
それを「私の生きる道」として選んだのだ。

「ロボットアニメ」にリアルを持ち込んだ
富野監督が、今「劇」に立ち返ろうとしている。
という記事は様々な場所で読む事ができるが
「ガンダム」という作品で形となったのが
この「ターンAガンダム」という作品なのだろう。

そう語る事もできるのだが
それすらも陳腐な言葉のような気がしてくる。
「ありのままを受け入れる」
それだけでこの作品は見た人に
感動を呼んでくれるのだと信じたい。
多分それが1度は「捨てたもの」だったり
「失ったもの」だと思うから。

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